なかざわひでゆき の毎日が映画三昧


映画/海外ドラマライターの「なかざわひでゆき」による映画評論日記
by なかざわひでゆき
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「大砂塵」 Johnny Guitar (1954)

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監督:ニコラス・レイ
製作:ハーバート・J・イェーツ
原作:ロイ・チャンスラー
脚本:フィリップ・ヨーダン
撮影:ハリー・ストラドリング
音楽:ヴィクター・ヤング
主題歌:ペギー・リー
出演:ジョーン・クロフォード
   スターリング・ヘイドン
   マーセデス・マッケンブリッジ
   スコット・ブレイディ
   ワード・ボンド
   ベン・クーパー
   アーネスト・ボーグナイン
   ジョン・キャラダイン
   ロイヤル・ダーノ
   フランク・ファーガソン
アメリカ映画/110分/カラー作品




<あらすじ>
大規模な鉄道工事が行われているアリゾナ州の小さな町に、一人の流れ者がやって来る。ジョニー・ギターを名乗るギター弾きだが、その正体はかつて世間に恐れられた凄腕のガンマン、ジョニー・ローガン(スターリング・ヘイドン)だ。
町はずれの酒場へ足を踏み入れたジョニー。彼をここへ呼んだのは、鉄火肌の女経営者ヴィエナ(ジョーン・クロフォード)だ。鉄道開発が行われることを見越して、この荒れ果てた土地を購入して店を建てた彼女は、用心棒としてジョニーを雇うつもりだったのである。
しかし、よそ者を毛嫌いする町の人々は鉄道開発に強く反発し、駅建設のために土地を売ろうとするヴィエナを追い払うべく立ち退きを迫っていた。その先頭に立つのが女牧場主エマ(マーセデス・マッケンブリッジ)である。ヴィエナを執拗なまでに敵視するエマ。それには鉄道開発以外にも深い理由があった。ヴィエナの店を根城にしている無法者ダンシング・キッド(スコット・ブレイディ)の存在だ。
実は秘かにダンシング・キッドに恋焦がれてきたエマ。しかし、彼は美しく気高いヴィエナにぞっこんで、容姿端麗とは言い難い中年女のエマには見向きもしなかった。その敵わぬ恋心が激しい憎悪へと変わり、今やエマはヴィエナとダンシング・キッドを善良な市民社会に害を及ぼす悪人だとして糾弾し、町の住人を扇動して2人を葬り去ることに執念を燃やしていたのだ。
ジョニーが酒場へ着いてしばらくすると、エマの率いる自警団が店へなだれ込んでくる。彼らは昼間に発生した駅馬車強盗の犯人をダンシング・キッドの一味だと決めつけ、その居場所を教えるようヴィエナに迫る。そこに当のダンシング・キッドと仲間たちが現われ一触即発の事態となるが、ヴィエナの断固たる態度には自警団も手が出せず、マッキーバー保安官(ワード・ボンド)は24時間以内にヴィエナもダンシング・キッド一味も町を出て行くよう告げて引き上げていく。
もちろん、ヴィエナには町を出て行くつもりなどない。ジョニーは用心棒として彼女の傍に残ることにした。実は、2人はかつて恋人同士だった。だが、冒険心の強いジョニーは結婚して家族を持つようなタイプではなく、ヴィエナも放浪の旅に出た彼をしおらしく待っているような女ではなかったのだ。
その翌日、現金を引き出すためにヴィエナが銀行を訪れると、そこへダンシング・キッドの一味が襲来して現金を持ち去っていく。駅馬車強盗の罪をなすり付けられたことに立腹した彼らは、それならば本当に強盗をしてやろうと考えたのだ。
この事件はエマに格好の口実を与える。ヴィエナとダンシング・キッドが結託して銀行強盗を行ったと決めつけたエマは、彼らを縛り首にするべく大規模な討伐隊を組織。腹を決めたヴィエナは店の従業員を逃がし、たった一人で討伐隊を待ち受けるのだったが…。

『理由なき反抗』('55)で名高いニコラス・レイ監督の代表作の一つであり、かのフランソワ・トリュフォーにも絶賛され、ジャン=リュック・ゴダールもたびたび自作にセリフを引用した西部劇の傑作。ペドロ・アルモドバルも『神経衰弱ぎりぎりの女たち』('88)の中で本作を引用していた。しかし、劇場公開時のアメリカでは批評家からも観客からも不評だったという。というよりも、多くの人々がこの作品をどう受け止めればいいのか分からず、奇妙で不可解な映画と見なすことしか出来なかったようだ。それくらい、本作は当時のハリウッドにおいて規格外の異色西部劇だったのである。

まず本作において特筆すべきは、男性と女性の役割の逆転である。なにしろ、正義のヒーローも悪党の親玉も共に女性。物語を引っ張っていくのは彼女たちであり、登場人物の大半を占める男性陣は添え物に過ぎない。タイトル・ロールのジョニー・ギターですらだ。確かに戦後のハリウッドでは、強い女性を主人公に据えた西部劇が少なからず作られるようになっていた。その代表格は、バーバラ・スタンウィック主演の『復讐の荒野』('50)と『四十挺の拳銃』('57)であろう。だが、それでも必ず対になる男性ヒーローの存在があった。しかし、本作においてその揺るぎない意志で正義を貫くのは酒場の女主人ヴィエナであり、凄まじい悪意をもって立ちはだかるのは女牧場主エマである。周囲の男たちは殆ど役に立たないか、もしくは振り回されるだけ。本来、西部劇というのが男性向けの映画ジャンルであることを考えても、ウーマンリブが産声を上げる以前の当時のアメリカにあって、本作がいかに異質な映画であったかがよく分かるはずだ。

ただ、これは必ずしも最初から意図されたものではなかったようだ。本作が純然たる女性映画として成立した背景には、主演女優ジョーン・クロフォードと敵役女優マーセデス・マッケンブリッジの確執があったとされる。もともと本作の企画はクロフォードがリパブリック映画に持ち込んだもので、彼女の友人でもあった原作者ロイ・チャンセラーが当初は脚色も手掛けた。その段階では、あくまでも実質的なヒーローはジョニー・ギターだったようだ。タイトルが彼の名前になっているのもその名残だ。で、当初はクロフォードの要望でエマ役にベティ・デイヴィスやバーバラ・スタンウィックの名前も挙がったが、どちらも大女優ゆえギャラが高額となるため実現せず、レイ監督の推薦で『オール・ザ・キングスメン』('49)でアカデミー助演女優賞に輝いた名脇役女優マッケンブリッジが起用される。これがそもそもの発端だった。

というのも、実はマッケンブリッジとクロフォードの間には、前者の夫フレッチャー・マークルを巡って過去に恋愛絡みの因縁があったらしいのだ。しかも、撮影が始まるとレイ監督も現場スタッフもマッケンブリッジの演技ばかりを称賛。これに腹を立てたクロフォードは、マッケンブリッジの衣装をビリビリに破いて投げ捨てるという暴挙に至り、さらに旧知の脚本家フィリップ・ヨーダンをロケ地のアリゾナへ呼び寄せ、脚本を書き換えさせたのである。彼女がヨーダンに要求したのは、ジョニーではなくヴィエナをヒーローにすること。ヨーダンの回想によると、クロフォードは「私はクラーク・ゲイブル。だから主人公はヴィエナでなくちゃダメなのよ」と言ったとか。クライマックスのヴィエナとエマの一騎打ちも、この段階で付け加えられたのだそうだ。なにしろ、本作の実質的なプロデューサーはクロフォード。雇われの身であるレイ監督も従わざるを得なかったのだろう。こうしたクロフォードとマッケンブリッジの確執は、当時の芸能メディアでも大々的に報じられ、本作が批評的な失敗にもかかわらず興行的な成功を収めることに貢献することとなった。

もちろん、女優同士の確執はそのまま演技にも反映され、結果的としては功を奏することとなったと言えよう。中でも、サディスティックで妄執的なエマを狂気のごとく演じるマッケンブリッジの怪演は、見ていてワクワクするくらいに素晴らしい。鉄の女クロフォードの威風堂々たる佇まいも貫録たっぷりだ。純白のドレスを身にまとった彼女が、巨大なシャンデリアの下でグランドピアノを弾きながら、暴徒と化した自警団の群れを待ち構えるシーンなんぞ鳥肌もの。さらには、そのシャンデリアをエマが拳銃で撃ち落とし、酒場はたちまち火に包まれる。燃え上がる建物を眺めながら、けたたましく笑って勝ち誇るエマ。この異様な高揚感はさながら悪夢的なオペラだ。まさにアバンギャルド。なるほど、西部劇がまだまだ通俗的な大衆娯楽ジャンルだった当時の観客が、これを見て大いに戸惑ったのも無理はなかろう。

そうそう、逆転現象といえば本作の場合、男女の役割だけでなく善悪の立ち位置にも同様のことが言える。というのも、女を武器に一介の酒場女から経営者へと成り上がったヴィエナ、かつて凄腕ガンマンとして悪名を馳せたジョニー、狼藉を重ねる無法者ダンシング・キッドの一味など、本作において善の側とされる登場人物たちは、いずれもそれまでの西部劇であれば確実に悪者の側だった。対するエマや町の住人たちは本来なら善の側であるはずなのだが、本作の視点に立つと時代の変化を拒む排他的で保守的な悪人集団となる。これもまた、当時の観客にとっては馴染みづらかったことだろう。

当然のことながら、この設定の根底には当時ハリウッドに吹き荒れた赤狩りへの痛烈な皮肉が込められている。公聴会で証言を強要されたばかりの元共産党員スターリング・ヘイドンがジョニー役を、業界の赤狩りに自ら進んで加担したワード・ボンドが保安官役を演じているのも意図的だったはずだ。モラルや良識を盾に人権を蹂躙して、異質なものを排除しようとする狂信的なモラリストたちの姿に、現代版魔女狩りの悪夢と不条理を映し出した本作のストーリーには、自ら標的になりかけたことのあるレイ監督(彼は過去に共産党員だったが、当時のボスだった大富豪ハワード・ヒューズの加護でブラックリスト入りを免れている)はもちろんのこと、当時表立って赤狩りに異議を表明したわけではないものの、もともと民主党支持者で熱烈な左翼リベラルだったクロフォードの想いも込められていたに違いない。ただ、それを当時の批評家も観客も全く気付かなかったのだが。

また、本作は女性映画としてのフェミニズム的要素にも見逃せないものがある。それが特に顕著なのはヴィエナとジョニーの関係性だ。女としての性を武器にして成り上がったヴィエナは、そのことを隠しだてなどしないばかりか、むしろ誇りにすら思っている様子だが、しかし5年ぶりに再会したジョニーは彼女の成功を素直に喜べない。世の多くの男性がそうであるように、女に対して処女性を求めるジョニーは、かつて本気で愛した女性が傷物になってしまったと落胆する。それは男の誇りが傷つけられたも同然だと。その言葉に対して憤るヴィエナは、「男はたとえ嘘をついても、盗みを働いても、人殺しをしても、誇りさえあれば男のままでいられる。でも女は一度でも道を踏み外せば永遠に売女扱い。さぞかし楽でしょうね、男でいられるってことは」と鋭く言い放つ。ジョニーだけではなくダンシング・キッドもそうなのだが、本作に出てくる男どもは揃いも揃って子供じみた夢想家、もしくは生き急ぐ愚か者ばかり。地に足をつけて逞しく未来を切り開く現実主義者ヴィエナとは対照的だ。本質的に真のヒーローたり得るのは、実はもともと女の方なのではないか?そんな風にすら思えてくる本作は、ある意味で女性賛歌だ。

『大砂塵』の魅力は他にも尽きない。例えば、言葉のダブル・ミーニングや語呂合わせを絶妙に駆使した粋なセリフの数々。これは日本語に訳してしまうと全く伝わらないのが惜しまれる。さらに、もともと建築家志望でフランク・ロイド・ライトに師事したこともあるレイ監督ならではの、美術セットや自然背景を画面構図の中で象徴的に用いたウルトラ・スタイリッシュな画作りも、西部劇らしからぬ洗練された優雅な雰囲気を醸し出す。計算し尽くされた色彩の配置も見事。例えば、冒頭でヴィエナが自警団と対峙するシーン。ヴィエナとエマの2人だけが鮮烈なダークグリーンの衣装を身にまとうことで、本作の基本が彼女たちの対立構造にあることを強く印象付ける。それだけでなく、本作は随所に散りばめられた印象的な色彩が、それぞれにちゃんとした意味を持つ。リパブリックが独自に開発した、トゥルーカラーと呼ばれる極めて濃度の高いカラーシステムが効果を発揮している。

なお、本作は長いことマスターフィルムの修復が行われなかったため、過去に発売されたビデオソフトはいずれも画質に少なからず問題があった。'12年に米オリーヴ・フィルムよりリリースされたブルーレイも同様だったのだが、同社は'16年に往年の重要な名画を最高画質で商品化するシグニチャー・シリーズ企画を発足。その第一弾として本作が改めてラインナップされ、4K画質によるリマスター&修復作業が施された。その仕上がりは驚くべきもの。旧版ブルーレイと比べても画質の飛躍的な向上は明らかだ。色彩には鮮やかさだけでなく深みが加わり、質感のディテールも60年以上前の映画とは思えないくらいきめ細かい。また、画角については初公開時のヨーロッパ・ビスタ・サイズを再現しており、スタンダード・サイズ収録だった過去のビデオソフト版と比較すると天地の画像情報が欠けているものの、逆に左右の画像情報は増えている。つまり、単純に従来のフィルムの上下を削ったわけではない。これについては賛否あるかもしれないが、本来あるべきサイズなことは間違いないだろう。いずれにせよ、かのクライテリオンも顔負けの見事な仕事ぶりだ。

評価(5点満点):★★★★★

参考ブルーレイ情報(アメリカ盤)
カラー/ワイドスクリーン(1.66:1)/1080p/音声:2.0ch DTS-HD Master Audio/言語:英語/字幕:英語/地域コード:A/時間:110分/発売元:Olive Films/Paramount Pictures (2016年)
特典:マーティン・スコセッシ監督によるイントロダクション(約3分)/批評家ジョフ・アンドリューによる音声解説/ドキュメンタリー「Johnny Guitar: A Wester Like No Other」(約17分)/ドキュメンタリー「Johnny Guitar: A Femist Western?」(約14分)/ドキュメンタリー「Tell Us She Was One Of You: The Hollywood Blacklist and Johnny Guitar」(約10分)/ドキュメンタリー「Free Republic: Herbert J Yates and the Story of Republic Pictures」(約6分)/ドキュメンタリー「My Friend, the American Friend」(約11分)/エッセイ「Johnny Guitar: The First Existential Western」(テキスト)/オリジナル劇場予告編

by nakachan1045 | 2017-04-22 15:01 | 映画 | Comments(0)

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