なかざわひでゆき の毎日が映画三昧


映画/海外ドラマライターの「なかざわひでゆき」による映画評論日記
by なかざわひでゆき
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「雨にぬれた舗道」 That Cold Day in the Park (1969)

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監督:ロバート・アルトマン
製作:ドナルド・ファクター
   レオン・ミレル
原作:リチャード・マイルズ
脚本:ギリアン・フリーマン
撮影:ラズロ・コヴァクス
音楽:ジョニー・マンデル
出演:サンディ・デニス
   マイケル・バーンズ
   スザンヌ・ベントン
   デヴィッド・ガーフィールド
   ルアナ・アンダース
   マイケル・マーフィ
アメリカ・カナダ合作/107分/カラー作品




<あらすじ>
肌寒い季節のバンクーバー。母親を亡くしたばかりの裕福な30代独身女性フランシス(サンディ・デニス)は、高級アパートの広い部屋にたった一人で暮らしていた。時折訪れるのは母親の友達だった老人ばかり。あとは週に何度か、メイドのおばさんが身の回りの世話にやって来る。
親の遺産があるので働かずに済む優雅な生活だが、平凡で退屈な時間がただ過ぎていくだけの毎日は孤独だ。過去に男性との恋愛経験がなかったわけではないが、それも今は遠い昔の話。母親の主治医だったスティーヴンソン医師(エドワード・グリーンハルフ)が以前から自分に気があるということは知っているが、年上過ぎて恋愛対象としては見られない。いや、むしろ生理的に嫌悪感すら抱いている。
そんなある日、フランシスは隣の公園のベンチに腰かけている若い青年(マイケル・バーンズ)が目に留まる。寒空の下、薄着で何時間も座ったまま。やがて雨が降りはじめ、見るに見かねた彼女は青年を部屋へ招き入れる。濡れた服を脱がせ、暖かい風呂に入れ、食事を与えるフランシス。青年は言葉が喋れない様子だった。甲斐甲斐しく世話をするうち、フランシスの表情に珍しく微笑みがこぼれるのだった。
そのまま青年をゲストルームに泊めることにしたフランシス。すると、青年は夜中にこっそりと部屋を抜け出す。ホームレスかと思われた青年だが、両親と大勢のきょうだいが住む実家があった。しかも、実はちゃんと喋れる。ただ面倒くさくて聾啞者のふりをしていただけだった。
翌朝、彼は妹ニーナ(スザンヌ・ベントン)の焼いたクッキーを持ってフランシスの部屋に戻る。その顔を見て安堵の表情を浮かべるフランシス。青年は彼女のことを変わり者だと思ったが、しかしなぜか気になる存在だった。なにより、ここにいれば自分の部屋も豪華な食事もある。実家に居場所のない彼にとっては天国だった。
婦人科病院を訪れるフランシス。婚約中だとウソをついた彼女は検査を受けた。その晩、青年の枕もとで抱いて欲しいと呟く彼女だったが、よく見るとベッドはもぬけの殻だった。彼が外出から戻ったのを見計らい、彼女は部屋の窓を釘で打ち付け、玄関の鍵もロックしてしまう。もうこの家から外へは出さない。監禁されたことに気付いた青年は、あんたのことを女だとは見ていないと言い放つ。そこで彼女は夜の街でシルヴィー(ルアナ・アンダース)という売春婦を見つけ、連れ帰って彼にあてがうのだったが…。

戦争風刺コメディの傑作『M★A★S★H』('70)でカンヌ国際映画祭グランプリを獲得し、一躍時の人となったハリウッドの巨匠ロバート・アルトマンが、その前年に撮っていた心理サスペンス。全米では批評的にも興行的にも惨敗を喫してしまい、日本でも当時劇場公開こそされてはいるものの、その後DVDはおろかVHSですら発売されたことがなく、輸入盤を取り寄せない限りは滅多に見るチャンスのない作品だ。

まあ、確かに中身は地味で暗い。ストーリー的に説明不足な点も多く、ちょっと理解しづらい作品ではある。しかし、孤独で情緒不安定な独身女性が静かに狂っていく様を、繊細かつポエティックなタッチで描いたその内容は、後の女性心理にフォーカスした『イメージズ』('73)や『三人の女』('77)などの系譜に連なるものがあり、アルトマンのフィルモグラフィーを紐解いていく上で見逃せない映画だともいえるだろう。

全体的な印象としては、ウィリアム・ワイラー監督の『コレクター』('65)ともなんとなく被る本作。ただし、こちらは男女の立場が全く逆だし、監禁状態へ至る過程も偶発的なものというか、意図せずしてそういう方向へ進んで行ってしまうという流れだ。

主人公は広くて豪華な高級アパートに住む女性フランシス。同居していた母親が亡くなったため、今は一人暮らしだ。年の頃は30代前半といった感じだろうか。日常的に接しているのは、週に何度かやって来るメイドのおばさんのみ。人付き合いは殆どない。辛うじて、母親の友達だったお年寄りグループとは接触があるものの、年齢の近い友人や知人の存在は全くない。

当然、男性との交際もゼロ。唯一、母親の主治医だったドクターがそれとなしに言い寄って来るものの、なにしろ相手は頭の禿げあがった中年男性。さすがに顔や態度にこそ出さないものの、彼女は彼に対して嫌悪感すら抱いている。お年寄りたちからは”良く出来たお嬢さん”と褒められている優等生だが、その表情には喜怒哀楽が殆ど見られない。大きなお城にたった一人で住む、氷のように冷たい孤独な年増のお姫様。それがヒロインのフランシスだ。

そんな彼女が、自宅の窓から見える公園のベンチに一人の若い青年を発見する。コートや手袋の欠かせない肌寒い季節だというのに、薄着で何時間もベンチに座ったままの青年。フランシスは気になって仕方がない。やがて雨が降り出し、外を見ると青年はずぶ濡れのままベンチにいる。ホームレスだろうか?このまま放っておいたら死んじゃうかもしれない。フランシスは「雨がやむまで家にいらっしゃい」と言って、彼を自宅へ招き入れる。

青年は言葉が喋れないようだった。濡れた服を脱がせ、暖かい風呂に入れ、夕食の残り物を振舞うフランシス。まるで少年のように無邪気な態度の青年に心を許し、甲斐甲斐しく世話をしていく彼女の表情に、初めて微笑みが浮かぶ。それはまるで母親のようであり、姉のようでもある。と当時に、裸にタオルケットを巻いただけでソファーで眠り始めた青年の肉体を見つめる彼女の視線には、それまで抑圧されてきたであろう性的な欲望も垣間見える。彼女が年齢的に近い他者との触れ合い、ことに異性との交流を秘かに求めていたことは明らかだ。

一方、本作では最後まで名前が明かされない青年。ブロンドに青い瞳の可愛らしい童顔で、フランシスでなくとも母性本能をくすぐられるタイプだ。そのままフランシスの自宅に居候することとなった彼だが、実はホームレスでもなければ、言葉だって普通に喋ることが出来る。公園のベンチにずっと座っていたのは、自由気ままな妹ニーナが待ち合わせをすっぽかしたから。聾唖者のふりをしたのは、単に事情を話すのが面倒くさかったからだ。

一瞬だけ映し出される青年の実家は、ごく平凡な中流家庭のように見えるが、しかし子沢山の大所帯であるため家計は楽でない様子。部屋数も全然足りないため、幼い弟や妹たちはいいとしても、上の子供たちにとっては何かと不便だ。それゆえ、妹ニーナは家を出てボロボロのあばら家で恋人と同棲し、長男と思われる青年はよそで寝泊まりをして時たま家に顔を出すような状態。自分には居場所がない。青年がフランシスのことを「変わった女性」だと言いつつ、なんとなくシンパシーを感じているように見受けられるのは、同じように常日頃から孤独を抱いているからなのかもしれない。

もちろん、フランシスの家にいれば自分の部屋も与えられるし、身の回りの世話は何でもしてもらえるし、贅沢な食事にもありつける。彼にとってはまさに天国。喋れないふりをしとけば余計な詮索をされることもない。退屈になれば部屋の窓から外へ抜け出せばいいだけだ。彼女に対して親近感みたいなものこそあれ、結局は都合よく親切心に甘えているだけに過ぎないのである。

ちなみに、本作には原作小説がある。作者リチャード・マイルズは本名ピーター・マイルズといい、もともとは妹ジジ・ペルーと共に'40~'50年代に映画で活躍したハリウッドの人気子役スターだった。成長するにつれて役者として売れなくなったことから、B級映画やテレビ映画の脚本家へと転身。そんな彼にとって唯一の長編小説を映画化したのが本作だった。

原作ではパリが舞台で、ヒロインのフランシスも男嫌いの中年女性という設定。青年は彼女の財産を狙って居座ることになるが、映画版の青年にはそうした邪まな下心はない。フランシスの年齢も若く設定されている。彼らの関係にセクシャルな緊張感を漂わせつつ、本来なら接点を持つこともなかったであろう、対照的な世界に住む孤独な2つの魂の触れ合いを構築することで、もはや青年が閉ざされた彼女の世界から逃れられなくなるという絶望的な結末に、ある種の救いを与えているのだ。

で、次第に彼を独占したいという欲求に駆られたフランシスが、ある事件をきっかけに青年を監禁してしまう。実は、ここが本作における最大の弱点だ。というのも、彼女がなぜ自分の殻に閉じこもって他者との関りを避けてきたのか、なぜセックスに対して抑圧的かつ禁欲的なのか、そうした心理的な核心部分が十分に描かれていないため、精神のバランスを崩してからの展開が、あまりにも唐突に感じられてしまうのである。登場人物のバックグランドをあえてぼかし、観客に想像の余地を与えるという手法には異論はない。だが、この部分はきっちりと描写しておくべきだったであろう。

そんなわけで、舌足らずな点が多々あることは否めない。それゆえ、本来ならばショッキングであるはずの結末もいまひとつ解せない。結局、あれはなんだったのか?というシーンも少なくない。とはいえ、陰鬱な雰囲気の中にも豊かな詩情を漂わせたアルトマンの演出には、後の巨匠としての才能の片鱗が十分に伺える。曇り空に覆われた寂しげなバンクーバーの街並み、まるで異空間なアール・ヌーボー様式のアパートメントなど、洗練されたロケーションがまたダークな寓話的世界を作り上げている。フルートやピアノ、ハープを多用したジョニー・マンデルの哀しく切ない音楽スコアも素敵だ。

さらに、フランシス役にサンディ・デニスを起用したことも功を奏している。『バージニア・ウルフなんかこわくない』('66)で見事オスカーに輝いた名女優だが、この人は精神的に不安定でガラス細工のように繊細な女性を演じさせたら天下一品。そこにいるだけで、フランシスという女性の複雑で屈折した個性を体現している。彼女でなければ演じられない役柄だ。

対する名前のない青年役には、'50~'60年代の人気テレビ西部劇『幌馬車隊』に出ていた元子役マイケル・バーンズ。少年のようなあどけなさを残した個性は役柄にピッタリだ。また、ロジャー・コーマン作品などでお馴染みのカルト女優ルアナ・アンダースが売春婦役で登場。さらに、その後長きに渡ってアルトマン作品の常連となる名優マイケル・マーフィが、フランシスの売春婦探しを手伝う遊び人役で顔を出しているのも要注目だ。

評価(5点満点):★★★★☆

参考ブルーレイ情報(アメリカ盤)
カラー/ワイドスクリーン(1.85:1)/1080p/音声:1.0ch DTS-HD Master Audio/言語:英語/字幕:なし/地域コード:A/時間:107分/発売元:Olive Films/Paramount Pictures (2013年)
特典:なし

by nakachan1045 | 2017-05-04 13:31 | 映画 | Comments(0)

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