なかざわひでゆき の毎日が映画&音楽三昧
「スピオーネ」 Spione (1928)

製作:エリッヒ・ポマー
原作:テア・フォン・ハルボウ
脚本:テア・フォン・ハルボウ
撮影:フリッツ・アルノ・ヴァグナー
美術:オットー・フンテ
カール・フォルブレヒト
出演:ルドルフ・クライン=ロッゲ
ゲルダ・マウルス
リエン・ダイヤース
ルイス・ラルフ
クレイグホール・シェリー
ヴィリー・フリッチ
パウル・ヘルビガー
ヘルタ・フォン・ヴァルター
ループ・ピック
ドイツ映画/150分/モノクロ・サイレント作品
ドイツ映画界の巨匠フリッツ・ラングが、得意ジャンルである犯罪アクションの世界へ久々に挑んだサイレント映画である。当時すでに名前だけで観客を呼べるスター監督だったラングは、映画界に技術革命を起こしたSF超大作『メトロポリス』('27)で話題をさらったばかり。今なお世界の映画史における屈指の傑作と呼ばれ、批評的にも興行的にも大成功を収めたはずの『メトロポリス』だが、しかし実は予算がかかり過ぎたせいで収支は大赤字だった。そのため、映画会社ウーファは「金食い虫」であるラングをクビにしようとしたのだが、これに不満を持ったラングから反対に訴訟を起こされ、「予算が膨れ上がった原因は会社側にある」として裁判で負けてしまう。
かくして引き続きウーファで新作を撮ることになったラングだったが、『メトロポリス』の二の舞を避けるため会社側は予算に大幅な制限を設ける。そこでラングは自らの制作会社「Fritz Lang-Film」を立ち上げ、ウーファとの共同製作という形で予算の一部を負担することに。こうなると是が非でも利益を出さなければならない。折しも、当時のドイツでは犯罪アクション映画が全盛期。アメリカやイギリスなど重要な国外市場でも受けていた。もちろん、その原点はラング監督の出世作『蜘蛛』('19)と『ドクトル・マブゼ』('22)である。なので、次回作に犯罪アクションを選んだのも当然の成り行きだったと言えよう。
舞台は現代のドイツ。謎の国際犯罪組織による政府要人の暗殺や機密書類の盗難が相次ぎ、政府は裏で糸を操る正体不明の黒幕を捕らえようと躍起になっていたが、しかし犯罪組織はヨーロッパ全土にくまなく情報網を張り巡らせており、さすがの警察諜報部もまるで歯が立たなかった。業を煮やした諜報部のボス、ジェイソン(クレイグホール・シェリー)は、若き凄腕スパイ326号(ヴィリー・フリッチ)に黒幕の正体を突き止めるべく指示を出す。普段から貧しい労働者に化けて潜入捜査を行っている326号であれば、犯罪組織に顔が割れていないと考えたからだ。ところが敵もさるもの、組織は既に326号の顔も動向もしっかりと把握していたのである。
その国際犯罪組織を束ねる黒幕というのが銀行頭取ハーギ(ルドルフ・クライン=ロッゲ)。実は銀行本社ビルが丸ごと組織本部の隠れ蓑となっており、金融機関ならではの情報網を犯罪行為に悪用していたのだ。ハーギはロシア人の女性スパイ、ソーニャ(ゲルダ・マウルス)を美人局に使って、東欧某国の軍人ジェルシッチ(フリッツ・ラスプ)から機密情報を得ていたのだが、そのソーニャを使って326号の捜査を妨害しようと考える。新たな任務のため身分を偽り、運転手フランツ(パウル・ヘルビガー)共に高級ホテルの一室を活動拠点とした326号。するとそこへ、暴力的な夫から逃げ出してきた若い女性を装うソーニャが駆け込んでくる。彼女がハーギの手下だと知らずに匿う326号。2人はお互いにひと目で恋に落ちてしまった。それだけに、居たたまれなくなってホテルから姿を消したソーニャは、「彼だけは貶めることが出来ない」として任務を下ろしてくれとハーギに懇願する。これに憤慨したハーギは彼女を監禁してしまう。
そんな326号とソーニャの様子を秘かに監視していたのが日本のスパイ、アキラ・マツモト(ループ・ピック)である。実は、近々英国と日本の間で和平協定が結ばれる予定で、ハーギはその妨害計画を準備していた。そのため、アヘン中毒者であるイギリス外交官の妻レスレーン夫人(ヘルタ・フォン・ワルター)を脅迫したハーギは、和平協定が交わされる日時を事前に聞き出そうとしていたのだが、マツモトはその動きをいち早く察知していたのだ。ソーニャが忽然と姿を消してショックを受ける326号を憐み、彼女が犯罪組織のスパイだと告げるマツモト。しかし、そんな彼もハーギが送り込んだ若い女性スパイ、キティ(リエン・ダイヤース)に騙され、和平協定の締結文書を盗まれたため、その責任を取って切腹するのだった。一方、ソーニャと接触していたジェルシッチの身元を確認した326号は、彼の身辺を調べれば犯罪組織の黒幕に辿り着くと考えるのだが、その動きに気付いたハーギは先回りしてジェルシッチを始末し、手下モリエール(ルイス・ラルフ)に命じて326号を亡き者にしようとする…!
さながら『ドクトル・マブゼ』の姉妹編といった感じですな。市井の津々浦々にまで配下のスパイを送り込み、数々の破壊工作や陰謀工作によってヨーロッパを政情不安に陥れる、警察もその正体を知らない犯罪組織の黒幕ハーギは、ラング自身の手によってシリーズ化もされた希代の犯罪王ドクトル・マブゼそのものである。実は変装の名人だったという設定までそっくり。そのうえ、演じている俳優も同じルドルフ・クライン=ロッゲである。先述した通り、経済的な事情からどうしても当たりを取らねばならなかったラング監督にとって、恐らく『ドクトル・マブゼ』の柳の下の泥鰌を狙うことは最も確実で安全な選択肢だったのだろう。
ただし、本作には元ネタとなった実在の事件が存在する。それが1925年にイギリスで起きた「アルコス事件」。アルコスとはソ連の通商代表団「全ロシア共同委員会」の略称なのだが、そのアルコスのロンドン・オフィスがスパイ活動の隠れ蓑となっていることが発覚し、スコットランドヤードによる一斉捜査が行われたのである。これを新聞報道で知ったラング監督が強い関心を抱き、妻テア・フォン・ハルボウが事件を下敷きにして原作小説と脚本を執筆したというわけだ。その際、フォン・ハルボウは舞台をドイツへと移し、当時ドイツ国内や近隣諸国で実際に起きていた政府要人暗殺事件や機密書類の盗難事件、スパイ事件などをヒントにしたエピソードを随所に織り交ぜている。例えば、ソーニャに色香に惑わされて祖国の機密情報を売る東欧某国の軍人ジェルシッチは、同性愛を理由に脅されてロシアの二重スパイとなったオーストリア=ハンガリー帝国の士官アルフレード・レドルがモデルとなっている。当時の欧州の混沌とした世相を映し出しているという点でも、本作は『ドクトル・マブゼ』を彷彿とさせると言えよう。
とはいえ、4時間半にも及ぶ長尺だった『ドクトル・マブゼ』と違って、本作は正味2時間半と比較的コンパクト(?)にまとまっており、ストーリーもだいぶライトなものに仕上がっている。予算をなるべく抑えねばならないという事情から、ラング作品の醍醐味であるスペクタクルな見せ場もわりと限定的だ。『ニーベルンゲン』('24)シリーズや『メトロポリス』のように豪華絢爛な大規模セットを組めないため、カメラも全体的にクロースアップショットが多い。その代わりと言ってはなんだが、体力勝負の派手なアクション・スタントと、スピード感満点のリズミカルな編集が圧倒的!中でも、アニメーションのイメージや動く字幕を交えながら、短いカットの畳みかけで犯罪組織の破壊工作を一気に見せていくオープニングには息を呑む。機関車同士の衝突シーンもあえて全体を映したりせず、カメラが突進していく車両の目となって衝突の瞬間を捉えたのは、最小限の予算で最大限の効果を得るという意味でも実に賢明だった。ほかにも創意工夫を凝らした革新的な撮影テクニックが詰め込まれており、最初から最後まで全く飽きさせない。
主演のルドルフ・クライン=ロッゲは、ドクトル・マブゼはもちろん『メトロポリス』のマッド・サイエンティスト役でも有名だが、この手の狂気に取り憑かれたヴィラン役を演じさせたら右に出る者はないだろう。対する正義のヒーロー、326号役のヴィリー・フリッチは、当時ウーファが売り出しに力を入れていた若手の2枚目俳優。主に女性ファンからアイドル的な人気を得ていた人だが、しかし本人は恋愛映画の爽やかイケメン路線を飽き足りなく感じていたそうで、本作のタフガイ役は願ったりかなったりのイメージチェンジだったらしい。ラング監督の次回作『月世界の女』('29)でもヒーロー役を演じた彼は、それまでのティーンアイドルからの脱皮に成功。その後は人気女優リリアン・ハーヴェイとの名コンビで、日本でも大ヒットした『ガソリン・ボーイ三人組』('31)や『會議は踊る』('33)などの名作に主演し、'30年代のドイツ映画界を代表するトップスターとなる。
一方、本作が映画デビューとなったのがソーニャ役のゲルダ・マウルスとキティ役のリエン・ダイヤース。オーストリア出身の有名な舞台女優だったマウルスは、観劇に来たラング監督に自らを売り込んで本作に起用され、続く『月世界の女』でもタイトルロールを演じている。明るく健康的な若手女優の多かった当時のドイツ映画界にあって、どこかミステリアスな大人の色香を漂わせた彼女の美貌は非常にモダン。そんなマウルスの魅力にラング監督も夢中だったらしく、妻フォン・ハルボウと離婚する原因になったとも言われている。反対にダイヤースは、いかにも当時の若手女優らしいコケティッシュなベビーフェイスの小悪魔系スターで、本作では可愛らしい顔に似合わぬ筋金入りの悪女を演じて凄みすら感じさせる。彼女もまたこれを機にトップスターへの道を歩んだのだが、しかし父親がユダヤ人であったことから、やがてナチスの台頭を逃れてハリウッドへ渡ることに。しかし、当時のハリウッドではドイツからの亡命者がひしめき合っており、性格的に問題があると噂された彼女は全く仕事にありつけず、一説によるとかなり困窮して悲惨な晩年を過ごすことになったらしい。
ラング監督の目論見通りに爆発的な大ヒットを記録し、ウーファからの信頼を取り戻すことにも一役買った本作。ドイツ公開時のオリジナル版は178分あったと言われているが、残念ながらオリジナルのネガフィルムは既に失われており、現在はオーストリアやロシアなどで発見されたフィルムを基に修復された150分バージョンが完全版とされている。日本では1度だけDVD発売されたきりだが、アメリカやイギリス、ドイツなどでは既にブルーレイ化済み。筆者はアメリカ盤ブルーレイを所有しているが、90年以上前の映画ということを考えると十分過ぎるくらいの高画質に仕上がっている。特典には日本盤DVDにも収録されていたメイキング・ドキュメンタリーと、ウィーンの映画博物館に所蔵されている貴重なオリジナル劇場予告編を収録。5分を超える予告編というのも珍しい。
評価(5点満点):★★★★☆
参考ブルーレイ情報(アメリカ盤)
モノクロ/スタンダードサイズ(1.33:1)/1080p/音声:2.0ch Dolby Digital Stereo(伴奏音楽)/言語:ドイツ語(中間字幕)/字幕:英語/地域コード:A/時間:150分/発売元:Kino Lorber
特典:ドキュメンタリー「Spies: A Small Film With Lots of Action」('06年制作・72分)/オリジナル劇場予告編(5分)
by nakachan1045
| 2023-02-13 13:52
| 映画
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